古代に生まれた十二支とか干支は誰もが知る事として、しかし、その意味合いを深く解す
ると言う事ことなく、唯、古くからの慣習として今もなお存在感をもって生き続けている。
本来、十二支とは時間を現す符号であり、眼に見えない「無の世界」を示すものである。
それに対して空間を現す十干という符号は「有の世界」である。つまり、空間の存在物の
変化によって、はじめて見えるのが時間であって、時間そのものは完全な「無」である。
一日の変化も人間の成長と老化も空間現象であり、そこに時間を想像することが出来る。
其処で得た答えは「時間とは動くものなのだ」という事であり、古代東洋人は暦の作成
において時間と空間を別次元で捉えていたという事に大きな価値を見いだせるのである。
宇宙には「時間」と「空間」の世界があり、この二つの世界が常に一体となり動くのだと
いう観念に至ったわけである。自然界の分析方法は今日に至るまで日本には存在しないが
空間というものの捉え方を言えば、仏教の「無」、儒教の「虚」、道教の「空」、等との考え
方はなく、其処に存在しているもの全てを空間として捉えているところに見事さがある。
つまり、空間とは、空間から時間を引いた全てをいう。過去も現在も森羅万象全てを言う。
「空間とは有なり」「時間とは無なり」の思考で、歴術作成に際して「空間と時間」二つを
合わせて使用する事に異議を見出したと言う事である。
さて、干支陰陽暦とは十干という空間現象と十二支の時間の合体であり、世界の暦の中で
空間が加味された暦は唯一これだけなのである。其処に、現在使用されている西洋の時間
暦である太陽暦との大きな違いがあり時間思考と時間空間思考の違いとなって現れている。
つまり、干支暦は太陽暦と違い毎年毎年の意味合いを所有する暦なのだと言う事である。
干支というのは、人間を自然界の中で考えて行く符号なのである。
そして、この干支が其々の国なり、個人なりの生年月日と結びつき符号から意味合いを読
み取る事が出来るとしたのである。因みにそれぞれの国の生年月日は憲法制定日である。
今年は西暦2016年の丙申年。「丙」は空間現象・「申」は時間現象という事になり、
意味するところは北半球全体に「丙」という明暖の空間が広がりを見せ「申」という攻撃
本能を所有する時間帯に入るという事になる。つまり、「丙」は南方の伝達本能が位置する
場所という事から、人々の言論が躊躇なく迷いない状態で活発になり、自然界も人間界も
攻撃本能が極まる状態で激しくなる姿が想像出来るという事にもなりましょうか。
この状態が北半球を多い個人の生年月日の符号と絡めて干支の読み取りをすることになる。
しかし、運命とは相対的なものである。又、人間は環境によって本体を変化させるもので
ある。故に、干支には必ず環境を加算して読み込む事を基本としているのである。