六十干支と現代数学的思考
4,000年前の殷王朝の遺跡から発見された甲骨文字の六十干支の誕生の裏に現代数学的思考があった。
縦横学では横線=現実=肉体、縦線=精神=霊魂としているが、数学では横線=実軸、縦線=虚軸と定義し、横線は実数(2乗すると0以上になる数)であり、縦線は虚数(2乗すると―1になる数でiで表す)となるとしている。そして数学ではX軸とY軸の交点を0(基点)として横線の右方向をプラス(+)、左方向をマイナス(−)に対して、縦横学では横線と縦線の交点を中央、右方向を東、左方向を西としている。
ところで六十干支は10種の十干と12種の十二支の組合わせで出来ており、十干と十二支にはそれぞれ陰(−)と陽(+)があるため、組合せによってプラスになるものとマイナスになるものが成立する。つまり10×12=120種のうち60種がプラスになり、60種がマイナスの組合せとなる。そこで東洋の古代人はプラスの60種を「表干支」とし、マイナスの60種を「裏干支」として60種の表干支を「六十干支」として活用した。
その上で表干支はX軸(横線)のプラス方向(東方)となり、裏干支はマイナス方向(西方)となると考えた。そして人間は誕生日と同時に表干支を持ってプラス方向(東方)に向かって生きると考え、裏干支のマイナス方向(西方)は誕生前の母親の胎内に宿っている期間と死後の世界と考えた。ここから人間の誕生日と「宿命」との関係性を考え、その上で同じ宿命でも「環境」によって個々の「運命」が変わると考えた。