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役割の上下を以って結婚の形

昨今のニュース番組から、時の権力者の見苦しい弁明の中に「私と妻は対等でありますから・・」との言が飛び出したが、その言葉から「不完全な結婚」の形を想像してしまう。
実に結婚とは?人間が生きる上で最初に作る最小の集団である。これが結婚の形である。
人間の出発点として、一人の男性と一人の女性が作る小さな生きる範囲の家庭である。
そこには、細やか営みがあり、平凡な人間の姿があり、一つ一つを積み上げて行く小さな努力の世界がある。全ての運命の出発がこの家庭から始まり、家庭の在り方が、やがて運命を作り出して行く。そこで夫婦は目的を一つとし、一つの目的の為に二人で役割を果たしていく事になる。夫婦は蓄積という目的の為にお互いの役割を所有するのである。

当然の事として役割には上下の差がある。「人間は平等、役目に上下がある」との言葉が示す通りに、社会にあっても、人間としての上下差はないが、役割の上下が存在する。
夫婦の中での役割の上下差とは、夫が上を受け持つもよし、妻が上を受け持つのも良く、つまり、夫とは男性の事ではなく役割の名称であり、同じく妻も役割の名称である。
結婚そのものが、男女の結び付きによる同一目的人生であるので、夫と妻が対等になったのでは目的までも対等になり、人生そのものが崩れやすくなるのである。
其処に今様の離婚の姿を多くする原因が潜んでいるようである。 
それは恋愛時代の恋人同士は常に対等であり、男女同権であり、そこに対等関係がある。
対等関係の集団には役割の上下関係は存在しない。そこには「出来る人がやりましょう!」的な発想しかなく、責任を持たない集団が生まれるだけである。(利益集団とは別)
言わずもがな、それは現在の社会現象が教えている姿でもある。
結婚の形は様々に、良い結婚、悪い結婚、定義から外れた「完全・不完全結婚」とあるが、「結婚とは自分を無くさないで、相手に尽くす事である」これが、結婚の定義である。