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医者の本分とは?

従来の医者の本分とは確たるものがあり、個人病院も稼業より患者への気遣いを持ち

病気を治すべく心持ちのある、つまり、医術の本分を違わない医者が多かった。

これは長く生を重ねた結果として、過去と現在を眺めた事に過ぎないが。

現在の多くの大病院も含めて開業医の考えの中には、医者の本分とは?を意識せずに単な

る一職業と捉えている人達が随分と多いのではないかと、近年不信感が募るばかりである。

稼業・事業を維持するための手段が目的となり、どの科も真の医者の本分から離れたもの

になっているかに感じる。それが分業化・効率化である。

昔の名医は心の名医であったことは勿論、耆婆・扁鵲・壺居士・等の名医の存在等は過去

の名医の話としては畏れ多く、現代の医者にあっては知るすべも及ぶべくもなく当然の事

として、全くの期待等はしないが、せめて、「心ある」病院に似つかわしい人物の存在を期

待するが、その人間性言葉使いのレベルも低く、残念を越して危険さえ感じてしまう始末。

医者の本分の中に、本来はもっと「人間性のある心」を流し込むべきではないか、と。

実は、自分の経験談で恐縮だが睡眠障害に陥り、近くの病院を探した。精神内科である。

この苦しみはどんな想像力を持ってしても同じ経験を持たない者には想像出来ないもの。

又、苦労の末、探した病院である。電話をすると「最初は医師からの問診があります。」と。

特別に親切である。その上、予約は受付ではなく医師との間で行う。「保険診療ですから保

険書を持って来て下さい。」当たり前の話だが。それが曲者であったのだ。思うに、

ややこしい患者は看たくない。賢く楽に病院経営で生活したいのだと思うのが当然だと・・・。

そして、その後、些細な事件が・・3回目の診察日の時。雨。薬が合わないのかどうか、

ふら付きがあり、よろけて服は汚れ荷物を持ち、診察室に入るなり、受付会計事務が早足

で出て来て「うちは病院ですよ!と。

私を汚いセールスか何かに見間違えたらしい。しかし、患者と解っても謝らない!

形だけの人間らしい。診察室に入り、この旨、先生に告げたが、誤らせることはなかった。

言わずもがな。ここは精神の傷付いた人達が通う精神内科である。

其の夜、眠れず、翌日、電話して仕方なく同病院へ行く。これが、静かな感じの悪さ!

先生曰く:病院替えますか? 嫌な思いをしたなら環境を変えた方が良いでしょう!

・・・こんな医者が増えていませんか? 精神内科とは何なのでしょうか?

やはり、最初の印象に残った部屋の匂いと観葉植物の埃、やたらの炭のデイスプレイ、

此の最初の印象が今回の前兆のような気がして、御縁なき病院と結論付けたが・・。

「呉子」でなくても、「人は常に自己の能力を越える事態に遭遇して倒れ、自由にならない

身に遭遇して敗れる。」・・・自己のみが頼りである。人生とは何と暴力的である事か?

「若き日の儚くも、老いゆくは術もなや」の「秋風の辞」が悔しさと涙で毀れる。

「才ある小人」は多くも「医者の本分」を持つべく医者を期待するなと言う事なのか?

先生:「病院、替えますか? 」  :「はい。勿論。死んでも病院には参りません!」
<耆婆・扁鵲・壺居士・は古代の名医>