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古代科学・陰陽論

古代東洋史を突き詰めていけば、その思考法に大きな特徴を視る事が出来る。
古代東洋では常に無限を想定しての思考法が主流を成していて、物事の有限思考は見られず、大宇宙を視野に無限に広がる思考法は行き止る事のない思考法となる。

其処に陰と陽の考え方が出現する。

つまり、無限の出発は陰と陽、二つの元素の存在により成りたち、陰なり陽なり片方だけでは無限を構成する事は出来ないと言うものである。

また、無限思考の裏付けとして、古代中国を発祥とするものに「囲碁」がある。

囲碁は、碁盤上にマクロ宇宙を想定し陰陽論・平面五行・立体五行、段差五行と発想の根底に、無限思考を具現した人間学であり、思考ゲームである。

更に驚くことに、人間世界の「次元」に及ぶ思考を作り上げている見事さがある。

古代インド・中国に無限を現した多くの言葉が残されているのも頷ける話である。

例えて、「永遠」「遼遠」「劫」「盤石劫」「芥子劫」等、何れも無限への表現の多彩にある。
加えて意味深長であり、東洋史を語るに陰陽を抜きには論じられない。

さて、陰陽論の発想の原点は本来、天体から来たものであり、一日間の昼と夜が陰と陽の出発点、また、判定基準となったのである。

陽=太陽=明=昼・一日の始まりで先行とする。
陰=太陰=暗=夜・一日の終わりで後行とする。

陰陽説の定義は、一極を定め対座する異なった世界を二分(陰陽)することにある。

つまり、一極二元は、一つの事象が陰の部分、陽の部分、全体の部分の三分類となる。

これが「一極二元の法則」であり、相乗からは、異なった二つの世界に共通項さえあれば、陰と陽の無限の広がりを作り得る思考法となるのである。

しかし、この「一極二元論」は漢方医学等の病気の判定に使用される「一元陰陽論」との解釈の違いをもって大きく区別されており、算命学思想との異なりの一つとしている。

宇宙は天と地である。 人間は男と女である。 一日は昼と夜である。 等々。

森羅万象、全てが陰と陽の「気」で構成され「気」は陰と陽を持って無限を作り得る・・。

此の思考こそが、古代人の叡智が捉えた最初の科学であったということである。