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事件の裏に社会的環境が!

昨今の痛ましい事件の報道には目を覆うばかりである。

そもそも、如何なる事件もそれは何らかの原因があって結果として現れる現象である。

その現象から探れば、背景としての社会なり、家庭環境が被害者も加害者をも作り出す

大きな土壌であり、何らかの大きな要因を孕んでいるとの想像に至るのである。

其処に何気ない日常生活を過しながら、何気なく無関心な生き方に慣れていく現代人。

実に子供も大人も「心の闇」を持ちながら多忙にまかせスマホを相手に一人で解決すべく

それが、生活の中で自然と習慣付けられているという怖さがある。

現代社会は、そのような日常を持つ個人集団が社会に集団を作り出しているように見える。

そして、其処が大きな問題なのではないか、と。

これは進化する現代社会の落とし穴とも言うべきものではないのか、と。

日常の人と人とのコミュニケーション能力が落ちるの、宣なるかな、である。

進化社会であれ人間社会に変わりなく、良い国とは普通の家庭集団から成るものである。

それぞれの家庭集団が国の本となることから、進化に合わせた対応こそ「焦眉の急」。

悲惨な事件から、何故、中学生が夜中に出歩くのか? 何故、人は無関心なのか?

家庭教育の在り方はどうか?一家庭にあって、子供が夜中に家にいない事の異常さこそ

大きく問題視すべき事と考える。又、このような事件が頻繁に繰り返される毎に

唯々、変形した家庭なり進化社会の暴力には、非常な恐怖を抱かされるものである。