準備なくして・・オリンピック?
時を逸し「ずさん」との汚名をそそがれた新国立競技場、この建設を巡り今や各界から
かしましい論議を呼ぶ存在となっている・・。こんな国家事業計画があるのか?と。
古を師とするなら、・・・そもそも国家の財政は、計画によって動き、努力をまって安定し、
油断によって破錠を生じる。計画性を欠けば成り立たない。努力抜きでは安定しない。
そして油断さえしなければ破錠はない。つまり、「準備なくして行動なし」と唱えたのは紀
元前の政治家でありエコノミストの「管仲」であった。
「菅子」立政篇の中から、施政の極意をずばりと伝えている章が以下の如くである。
「先ず準備が整っていなければ如何なる計略も成功はおぼつかないし事業も計画倒れに終
わってしまう。行動を開始するに当たって、先ず周到な準備を整えてから慎重に時機到来
を待つ。国が新しい事業を始める際は賞罰の規準を先に示しておく。事業の責任者は、
いちいち計画にのっとって仕事を進め、決められた通りに賞罰を行う。さて、事業が終
われば責任者はその事業のやり方を複命し、賞罰の状況を報告する。もし、事業のやり方
命令に合致しなければ、たとえ功労があっても、「勝手な事をした」という廉(かど)で死罪に処さ
れる。このように、前もってきちんとした計画と命令さえ定めておけば、事業はとどこう
りなく完成するものである」と。現代社会にあってもそれなりの罰は当然あって然るべき
ではないだろうか。予告してのち事を行う段階で責任者不明?この醜態の原因は何処に?
・・オリンピックは全ての国民の合意で行われるものではない。全くオリンピックに興味・
視野を持たない人々が国の半分以上はいるという点にも注目すべきではないだろうか。
その上、費用の負担は全ての国民が支払う事になる。市況を見て国の財政第一の考えを持
つ舵取りを願いたいものである。が、一庶民の低い所からの声が届くであろうか、とも。
諺に曰く、「貧乏人は金銭を持って礼を成さず、老人は労力を持って礼を成さず。」という
言辞も合い含めて考えを巡らせて欲しいものである。この諺は国家にも個人にも通じる話。
・・・「管子」の話で、もう一つ見落としてはならないのは
数千年前の菅仲が、すでに「計画経済」を会得し説いていたという事実である。
民から「取る」ためには、まず民に「与えよ」と説く管仲の論は極めて「今日的」である。