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「老馬の知、用うべきなり」

生活苦に絡む事件が此処に来て急に増えたとの感はあったが、

昨日の国の統計から若年層の(62・4%)の人達が生活苦を

感じているという結果には驚愕。

「流れ老人」との老人を揶揄する新語が出た後での、この現実は

当に貧富の差の拡大を意味するものであり、他人ごとではなく、

不安定社会を物語る現実であると感じる。経済は生き物である。

古今の有能なエコノミストの論理は「有効需要」と称するもので

消費と投資の配分、しかし、いかに計算し尽くされた形を持ってしても

人間が作る社会が自然界の法則の範疇にある限り、人為は一時的な

勝利に過ぎないのである。また、「貧富」とは、文明なり進化した

社会の属物であると考えるのが正解というものではないのか、と。

なぜなら、太古の社会、つまり「貧富」が同居しない共同体からは

一番高貴な習慣が生まれているのである。そこには傲慢も不正も

さらには羨望も我欲も生まれなかった。また、人間が単純であったから

人間も善人であった。

さて、現代の状況改善には「轍鮒(てっぷ)の急」を要す。古を師として、彼の紀元前、政治家「管仲」の発した言「老馬(ろうば)の知、用(もち)うべきなり」である。

つまり、伏して、老練な知恵者の言を道案内として舵取りをするにある、と。

*「老馬」戦いで追われ山道に迷い困った時に、「老馬に先導させよ!」との
管仲の指示あり生還。年老いた馬はよく道を知っているから迷わないという故事。