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兄弟は「他人の始まり」の何故?

縦横学で考えた場合、縦は南北・上下・親子関係の「主従」であり、
横は東西、西の身内関係・弟妹、東の他人関係・兄姉の「対等」である。
人間関係性から正確に判断して「他人の始まり」は此処に淵源する。

又、「因縁の深さは「拡散」を呼び、因縁の浅さは「団結」を呼ぶ。」
との諺からは、子供の頃は親を頼りに兄弟が固まっている事で団結するが
時間の経過と共に、或は結婚等により遠く離れて世界が違う事になると
どうしても拡散するという形を作り出すものなのである。

振り返れば、子供時代の兄弟関係とは未来の社会生活における人間関係である。
親が「長幼の序」なる教えを示していれば、子供たちは自然と「長」を敬い「幼」を労わる心が育ち、その先の未来の兄弟関係においても、秩序ある他人としての対等関係を築けるものである。また、社会人になっても他人との間に巧く融合する事が出来る人物を作り上げる。親が子供を社会に送り出すまでの、これは大切な躾である。
又、上下の差等を大切にすることは、人の世の秩序は、かくあるべきというあり方を示している。なぜなら、組織集団とは上下列であり変則的であるとはいえ、一つの身分制度の中にあり、社長がいて部長がいて平社員からなる組織は身分制度以外のなにものでもないのであるから・・。このように、特殊環境<貧困の中で兄弟だけが形を寄せ合って生活した経験を持つ者とか、親のない環境で他人に養育された人達等>に育った兄弟を除いて、殆どの兄弟関係が親の死と共に崩れ争いを起こし断絶が始まる・・。
そして拡散。何故か?
「分、均しくば、すなわち偏せず」とあるように、其処に分別が必要になる。
「分」はなぜ必要か?
もし社会に「分」がなければ禍高じて争いが起こる。争いが起これば秩序が乱れる。
何れにせよ、枝葉は必ずその根によって形が決まると言う事にある。