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恐るべし、持続の帝国

中国主導により発足するアジアインフラ投資銀行(AIIB)の参加国が50ケ国に

達したそうである。この壮大なシルクロード構想に対して、またしても「想定

外」という言葉はもはや想定外である。今回のアジアインフラ投資銀行の件に

於いては、先手を持って決断参加の意を示すべきであったと考える。逸早く

姿勢を示す事で大義を保ち、未来外交に繋げる大切な事柄ではなかったか?と。

囲碁の話で言えば、強い石は繋がっているが弱い石は孤立すると言う事である。

今回の決断の遅れと国を挙げてのインテリジェンス機能の低さと情報リテラシ

ーの欠如は、もはや世界からの孤立は免れない「夜郎自大」と言われても致し

方ないと悲観するのであるが、これ、杞憂でありましょうか。

「中国史観は進歩史観に非ず」歴史の国、中国のその本質は、何千年経っても

何ら変わる事のない反復、反復、また反復。しかし、その反復からあらゆる法

則が生まれている。尚古思想の国、中国には絶対神はおらず人間関係が全てで

ある。ゆえに、中国人は究極的に人間関係を絶対視するという特徴がある。し

かし、これを理解するためには多少なりとも中国史に通じている必要があり、

先ず中国史・中国人を知ることにあるようだ。近い時代から清朝時代にあって

1%の知識人に99%の人の識字率の無さという格差。つまり、読書人と呼ばれる

人たちの牛耳る国であり、それ以下の人々には道徳すら求めない程の格差社会

が延々と続いている国なのである。又、縦軸が宗族関係で横軸が宗族以外の人間関係という形で社会構成され、顔氏なら顔という性を名乗る男系一族で繋が

り「異性娶らず」の思考で続いて行く。横軸は他人関係の4重の層からなる人

間関係なのである。親しい順に、幇→情誼→関係→知人となる。其処が特異な

国を知る鍵なのである。先ず、「菅鮑の交わり」の故事に見る、斉の国の管仲と

鮑叔の利害得失を超えた人間関係に始まり、「三顧の礼」の語源となった有名な

劉備と諸葛孔明の「二人幇」は夙に知る人は多く、後に劉備の言う「我、孔明

を得たるは水を得た魚の如くである」と。いわずもがな。尚古思想の国である。

中国外交にこの人間関係を知らずして外交は困難の極みに至るのであるが近年

ではソフトバンクの孫氏がその心得を持っていて、今では有名な話になるが、

中国人のジャック・馬氏?の経営する通販の会社「アリババ」という会社の創

設期14年前の話。馬氏が孫正義氏に2億円の借用を願い出たところから始ま

った人間関係である。その時、孫氏は5分を待たないで20億を差し出し言う

から凄い。「お金はいくらあってもこまらないでしょう!」と。此れが人間関係

である。これで二人の間に「幇」関係は築けた。これでもう、孫氏は何があっ

ても馬氏が命がけで助けてくれるだけの関係を作ったと言える話になる。

又、田中角栄の中国国交正常化の折、中国側の周恩来首相から日中戦争時の

被害等の話を2時間に渡り聞かされたが田中角栄は、それを一言の下に優位に

導く手段を使った。この人間関係は「幇関係」は行かなくとも「情誼」段階

の人間関係は築けたと言えるのではないか。「・・だから、私がこうして来たの

だ!」この一言。有名な話である。尋ねて行くと言う事で礼義を果たしたのだ。

斯くの如くに、国を熟知し持続の帝国であることを前提としての位置付けを持

ち外交手段に英知を巡らすべきではないだろうか。朝貢観念、五服説思想、

法術思想は、今なお変化することなく裏面に息づいている事を知るべきではな

かろうかと。又その歴史に支えられた国の大きさを想像するに万里の長城があ

る。秦の始皇帝の時代に始り明の時代をもって完成される程の遠大さである。

又、清朝時代の十八世紀の名宮、円名園は百年の歳月を持って建造され、イギ

リス・フランス人による焼打ちに遭う前の司令官クザン・モントバンの驚愕し

た言葉が今も残る程である。清朝時代の彼らの蛮行は酷い。財宝を盗んだ後、

「これ程までに贅沢なものを造ろうとする発想はヨッロッパ人には無い!」と。

又、フランス人作家、ビクトル・ユーゴーをして、「世紀の名宮が消えた!」と。

また、イギリス人のウイズリーにして、「おとぎ話に出て来る魔法の国を思い出

した」と余りの絢爛豪華な美に絶句したと言う。当時の英国司令官は英国軍が

円明園にした蛮行を考えれば中国人政府高官が英国を憎むのは当然だと考えた

ようである。そのような過去の一歴史画面も踏まえてかこの度のAIIBでは最初

に手を挙げた国が英国であったとか。時代は変化するが先見・清濁併せ持つの

が政治家たる資質であり能力である。重ねて言うが、夜郎自大では国が危ない。

政治とは武器を持たない闘いである。況や、外交問題においておや。