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人使いの術

時代の発展と進化により世の中が複雑になるということは巨大社会になるという事であり、その巨大化した社会機構は人間なり民族を必然的に単純化する力を持っている。社会機構の変化は常に循環しており、そこにも陰陽論の介在がある。つまり、複雑社会→単純社会→複雑社会→単純社会との変化の法則性を持ちながらゆっくりと繰り返していくのである。そして、その社会の中に生きる人間も大きく二種類の思考型に分類する事が出来、「単純思考人間
と「複雑思考人間
により構成されるということになる。
つまり、単純思考人間は複雑な社会機構を通し専門分野における頭脳に見事さがあり、複雑な社会機構に適応出来る人物になる。一方、複雑思考人間は一人で何役も受け持つ役割が多く全体把握が出来て、思考する頭脳も行動も複雑になっている為、単純な社会機構に適するのである。

つまり、これを会社等の組織集団に当てはめれば、大集団の会社は専門化された単純思考人間が適任とされ、小集団の会社は機転の利く複雑人間が適すると言える。つまり、会社も小集団の時は人間個人に主力が置かれ、大集団になると組織に主力が置かれるという事である。このような社会背景を以って、特に経営者の「人使いの術」は成されるべきであり、それを見極めた上での個々の人材分析があり人材登用が必要と思われる。さらに又、人を使うと言う事は自己の次元をあげる必要があり、縦横学の方向観念からして経営者本人は中央の中心に座しており、常に北方の過去からの学びを忘れてはならないのである。過去は未来に通じる道、過去を忘れて未来に通ずる道はないと言う事になる。

ここで、七書の中から呉子の感激のエピソードを一つ、「人使いの術」がある。時は紀元前、魏の国の武侯が呉子の進言を受け入れて秦の大軍を打ち破った話になる・・・。
呉子はこたえた。「人間には短所長所があり、活力には盛んな時と衰える時がある、といわれています。ひとつ、駄目と思う人材・功績のない者を五万人集めて下さい。私が指揮して敵と戦ってみせましょう。私には確信があります。
たとえば、死に物狂いの賊が一人荒野に逃げこんだとします。たとえ千人でこれを追ったとしてもビクビクするのは追手の方です。なぜなら、賊が突然姿を現して、襲いかかってくるかもしれないからです。もし、私が五万の兵士を、この死にもの狂いの賊のように仕立て、それを指揮して敵を撃つならば、いかに敵が大軍でも打ち負かす事ができます。」
武侯は進言を聞き入れ五万の兵士を与え、その結果五十万の秦の大軍を破った。

その戦いに先立ち、呉子は全軍に命令を発した。「全軍の将兵は、それぞれ自己の分担に応じて敵に直面せよ。すなわち兵車は敵の兵車と戦い、騎兵は敵の騎兵と戦い、歩兵は敵の歩兵と戦え。もし、兵車が敵の兵車と戦わず、騎兵が敵の騎兵と戦わず、歩兵が敵の歩兵と戦わなかったならば、たとえ敵軍を打ち破ったとしても功績は認めない」それぞれの任務を明確にし、他に命令を下す事はしはなかった。大軍には「単純思考人間」の理を用いて役割分担を用い、各自の役割を明確にした事で個々が迷わない戦術を考えたのである。また、他人の分野に立ち入らないという厳格な約束事を徹底させたのである。その呉子の功績は大であった。
呉子はもともと厳しい法治主義者であり、君主との関係では不遇であったが、呉子の説く、この「励士」の一編はそれだけに大変意義深いものがある。
功績のあるものを抜粋して手厚く遇することは勿論、功績のない者に対しても激励の言葉をかけてやる、という士を励ましたからである。

呉子に限らず昔の人材登用にみれば、智者の短所よりも愚人の長所を用い、智者の拙なるところよりも愚人の巧みなるところを用いる者が成功している。
つまり、強は弱の積み重ねであり、直たる者は曲たる者の積み重ねであり、豊かな者は不足の積み重ねなのである。

情報過多の時代こそ、この「人使いの術」は大切である。弱者、無能者、不足者を軽視せず、長所を見つけ出す事、結果を創らせる事、才能を巧く出させる事、そして、長所とは弱点の反対側にある事を知る者こそ「人使いの術」を心得る人物であるといえるのではないか、と。
「人に短長あり、気に盛衰あり」含蓄ある言葉である。