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男女の特性による政治の難航

現政権における日韓関係の困難な外交問題においては、国と国との認識次元の違いなり、トップ間の資質の違いを凌ぐ、人間男女の特性に起因する現象から生じた問題であるのではないかと考える。仮に、相手国のトップが女性ではなく男性であるならば、未来の利益ある両国関係の基本姿勢を崩さず、これほど難しい問題にはならないはずである。
男女は基本的には同格ではあるが、ものの考え方が女性の世界と男性の世界では差があり、そこに、男女の特性による政治に困難が出るというのである。

女性はとかく建前を主張する傾向が強く、また、プロセスより結果重視に走る傾向がある。
この件では覚えておられる方も多いと思うが、昭和の社会党議員、土井孝子氏が代表とされる。その有名なセリフが「駄目なものは、ダメ!」であった。其れ等は、現、韓国大統領・パク・クネ氏と同じではないかと思ってしまう事である。

政治とは武器を持たない闘いである。政治とは国益第一との考えを優先するものである。政治とは清濁併せ持つ考えに立ち、国策及び外交策を取らねばならないものである。
そこには公人の立場のみがあり、私的な立場は持たないとするものでなければならない。

特に平和時の政治においては、男性型の政治が良好であり平和時こそ「清濁併せ持つ政治」の時代なのである。反対に女性の活躍期は動乱期であり、先が見えなくても未来に向かって行けるのが女性であり、善悪・是非・白黒がはっきりした状態、社会現象含めて単純明快な時代に向かって行く。そして、この単純明快が実は動乱期の入り口になるのである。
<主な男女の特性>
1、 女性は一人の時は守備力が強く大人しいが集団を形成すれば即座に攻撃力集団となる。
2、 男性は一人の時は自己顕示欲が強く攻撃的だが、組織に入れば知的集団と化す。
3、 女性は上下関係が苦手であり、集団にあっても対等意識が出て対等意識が強い。
4、 男性は対等意識より上下意識が強く働く。
5、 女性は組織に入ると上司に能力より人間性を求める傾向が強い。
6、 男性が上司に求めるのは人間性より能力であり、能力のない上司でも上司と認める。
7、 女性は長期見通しに弱く常に短期的な目的を与えられることで活躍する。
8、 男性は長期的味方をし、一般的に平和期に活躍するエネルギーを持つ。
9、 女性組織は文鎮型でトップは一人で良い。ピラミッド型を造っても横型になる。
10、男性はピラミッド型組織が合い、長期において目的を与えずとも組織は崩れない。
等々と、限りなく異なるのであるが、この違いは大きく、男女ともに理解する必要がある。

もともと、精神と現実が一体となっている度合いは男性よりも女性の方が強く、女性の本能として切り離し難いものなのである。現実と精神が同時に働くのが女性であり、精神と現実が別々に働くのが男性である。であることから、男性は心と行動を切り離した行動が出来る、というところが女性には理解できない面でもある。
また、情性と理性にも分量の差があると同じく、女性でも男性脳が多く働く女性は政治家になっても問題は少ないとはいえる。しかし、女性の動きが活発化する時は、動乱期の入り口にあるという事も忘れてはならない。だとするなら、女性大統領を選んだ事で、国民全体が動乱を呼び込んだとも言えるのではないか、と。

さて、ここでもう一点、見逃してはならない大事な部分がある。人間の才能・資質以前に、24分類法で、どの才能領域を所有した人物であるかの問題がある。パク・クネ氏は「N領域」所有ということから、集中力はあるものの限られた視野を持ち、安全が確認されてから初めて動くという、咄嗟の判断能力には欠点を所有し、加えて最も扱いにくい「官僚タイプ
の独身女性であるという点から、政治家には不向きな人物といわねばならない。
適職から言えば、目的が「名誉・名声
にあり、手段が「個人的な伝達力」にあるという事で、例えていえば、国の方針を非難している文化人に似ている。政治家というよりは、癖のあるコンサルタントであるとか、官僚分野の方が才能発揮に繋がる人物であるともいえる。また、此処、一、二年は手段・方法に苦慮する時期と観て間違いないといえる状態である。
現政権の困難はここにある。隣国の独身女性大統領パク・クネ氏を相手に幾度となく会談を重ねても進歩なく、悲しいかな、徒労感は拭えないのではないかと思うのである。

昔から、「哲夫は城をなし、哲婦は城を傾ける」とか、「乱は天から降りるのではなく婦人から出る」とかの諺が多いのは、単に差別ではなく、この特性を知る者の言から来ているのではないかとも思われる。又、古人曰く、どんなに丁寧に教え諭しても効き目がないのは、婦人と寺人(宦官)であるとも言われるのは、いささか責任逃れの感は有るにしても、男女の違い「役目・役割の違いを示唆しており、妙に言い当てているようにも思えるのである。