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轍鮒の急

荘子列伝の中にこういう話がある。荘子は宋の国の人です。常に大国に脅かされ苦難にあえいでいた時代、その悲惨さは推して知るべしで、荘子の貧窮も酷いものであった。継ぎはぎだらけの衣服をまとい食糧に困り果て、ある時、粟を借りに監河候の所へ出向いた・・。

監河候:どうしたのです!そんなに痩せこけて。

荘子:貧乏なのです!病気ではありません。士たるものが道徳を身に付けながら、実現できないでいる。時運にめぐりあわないということです。助けて下さい。

監河候:よかろう、しかし、しばらく待て。領地の百姓どもから税金をとりたて、その中の三百金をかしてやろうではないか。

それを聞いた荘子は顔色を変えて言う。<私が昨日ここに来る途中、呼び止めるものがあった。振り返ると、車の轍のくぼみの中に一匹の息もたえだえの鮒(ふな)がいる。

私はいった、<鮒よ、お前は何者だ!>。

鮒は答えた、<私は東海の波臣(水の役人)です。何卒、斗升の水で救ってください>。

わたしはいった。
<こころえた。今わたしは、南方の呉越の王に遊説にゆくところだ。
遊説がすんだら、西江の水を引いておまえをたすけよう、どうだね>。

すると鮒は顔色を変えていった。
<わたしはいま、水を失って死にかかっている。斗升の水さえあれば生きられるのです。ところがあなたは、そんなに気が長い事をいっている。
それなら、むしろ、わたしの死骸を乾魚屋の店先に探される方が早道ですよ>と。

・・此れは昔の話には違いないが、形と次元を変えて人間世界でこのような事象は繰り返

されているようだ。急を告げられない子供。連日の悲惨な子供虐待のニュースが痛々しい。

其れこそ「轍鮒の急」、母親が母親業とは?を知らず不備な社会に頼っている姿、母親自身

の乏しい母性が見えてくる。しかし、どんな理由があろうとも、それは理由にならない。
いくら若くても母親は母親である。どうぞ、子供を連れての仕事をして下さい!

と言いたい。この事件は母親の責任です。そして、人間としても未熟な経験も少ない、

ましてや子供を産んだことのない若い男性にこの仕事とは?不適任極まりない例である。

この一例からしても、人間の精神世界の後退は目に見えて形となって現れているといえる。

その要因の一つに、男女同権主義から生まれた仕事。この同権主義は、自ずと違う男女の

特性を無視した下等な発想から出ていて、最も愚かな結果を創り出すといえるのである。

科学が発展しても人間の機能が科学的になるはずがないのであるから精神を病む人が多い。

鬱病がふえているのも、その証拠である。また心理学という分野があるが、それも人間を

同一視している。それは人の環境も年齢も、男女の特性も、更には人間の次元も人格も全

く無視した、目に映る行動だけに焦点を合わせ、人間を一つの物体として、どんどん細分

化して行く方法であり、「人間とは男性と女性から成る
という男女の特性を無視した観方

に大きな欠点をもっている。また、人間の愚かさの一つに、簡単明瞭な道理や単純さを軽

んじる傾向があるのも、化学一辺倒の現代社会の落とし穴といえるのではあるまいか。

しかしながら、この件に関しては、時代の流れだからなどという無責任な答えを持って開

業させてはならない。・・人間の職業は人間。母親の職業はその上に母親という職業を熟す

べきであり、母である以上は、それ以外の仕事をしても全く意味なく庶民的な生活環境に

ある人ほど、いかなる理由があっても子供を人にあずける等、あってはならない事である。

「全ての事象が現れるには必ず原因があり、その結果を考えずに安易に動いてはならない。」

と昔の叡智は諭す。そして、若い時代に職業で身を立てる女性は、最終的に還暦過ぎて優

雅さを身に付けた婦人にはなれないともいう。それが、自然の法則なのである。

この事件等は、完全に人間とは?男女の特性とは?を無視した、人間を動物と同等扱いと

したところの無責任極まりない事件であるが、全ての大人が声なき助けの声を聴き、探し、

見つけ出してあげなければ悲しい・・。轍鮒の急(てっぷのきゅう)である。