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没落と栄達

没落と栄達は運命である。
人間には分限がある。この大切な事は誰もが知る必要があり、分に過ぎた運命

は大体が自分で壊すのが自然である。さすれば、この度の都知事の不祥事は

自然の成り行きという事になるのではなかろうか、と。

人間の運命は相対関係によって生まれる。決して自分一人では生まれない。

必ず、運命を作り出している相手と自分の受け皿との関係がある。

古来より言われている事に、異変が起こる前には必ず吉・凶いずれかの前兆

があるという。また、この理は明白で、たやすく変える事は出来ない、とある。

そう、賢い人はそれを知り、賢そうな愚者はそれを知らない。

なぜなら、傲に過ぎるからではある。

人物を見極める際、皆寝ているところを見れば、盲人も唖者も賢人も愚者も見

分けがつかず分からない。目覚めてから物を見せて盲人を知り、話させてみて

はじめて唖者と知り、考えを聞いて、その実績を見てはじめて愚者・賢者の見

分けがつくものである。

特に金銭を前にしては、正義を持つ者かどうかは一目瞭然である。

その正義は父親の心から譲り受けるものであり、お金は知性であり品性である。

人、いずくんぞかくさんや。人、いずくんぞかくさんや。