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「環境とお金」の話

先日、知人からびっくりする話を聞いた。それは外国にいる子息に億というお金を送金したという話である。実は、その子息とは大変ユニークで優秀な人物であるという事だが、まだ20代であるばかりか働いたことのない学生であるという事に驚いたのである。
また、知人のいろんな話から、その件には嘘はないと確信したが、驚いたのは確かである。なぜなら、お金を得るという事の苦労も知識もなく簡単に得ることを覚えれば、大体において、その後は簡単に失う事になることは必然。世間にはよくある話で誰もがそう考えるはずである。しかしながら、よくよく考えを巡らせばそのことに善悪は問えない。
善悪是非はその背景によるものである、という事で昔話にある一つの例が物語っている。

時代は中国戦国時代の越王を助けた宰相、范蠡(はんれい)の話。艱難辛苦に耐え呉を滅ぼし会稽山の恥をすすいだ後、范蠡は辞職し名を改め、斉の国、陶の国と息子たちと商売に励み巨万の富を築いたのである。その陶に移住の後、末子が生まれた。その末子が30歳になった時、楚の国で次男が殺人を犯して捕まったという。范蠡は考えた。「人を殺せば死刑になって当然だ。だが富豪の子は街角で処刑されて良いものではない」と。そこで彼は末子を楚の国へやって工作させようとして黄金を衣装箱に隠して牛車に積み込む。ところが、いざ出発の間際に長男が、ぜひとも自分を遣ってくれとせがむ。長男は「私を差し置いて末子に遣わすのは私を無能とお考えなのですね!それなら私は死ぬまでです。」と。
やむなく長男を遣る事にして、楚の国の友人に宛て書状をしたため長男に言い付けた。「楚に着いたら、持参の金を荘生という友人に渡して、一切を任せなさい。くれぐれも逆らうでないぞ」長男は父に内緒で、別に数百万金を用意し、楚へと旅立つ。父の友人である荘生なる人物は楚の国の王とは特別の関係であり、その清廉さは知らぬものとてなく、国中の人々から尊敬されている人物である。この長男はそんなことは知らず楚に着くなり有力者という人たちにお金を配り、勝手な事をしてしまった。陰で荘生が次男の命を助ける工作をしていたことも知らず、結果として、荘生の怒りを買い次男の命を救うことなく
その亡骸と荘生に預けたお金をもって帰ってきたという話である。父親である范蠡は其のことは元から分っていたことである。長男と末子の違いを・・。
なぜ、末子を楚に遣わせたかったか?「末子は兄と違い贅沢三昧で育ちお金の苦労をしていない。であるから、簡単にお金を捨てられる。お金に執着しない。だが、長男は自分と共に苦労して商売をして財を成した。お金の威力を知っているがゆえに執着心も強い。だから、末子を遣わしたかったのだが、」と。
「親の心、子知らず」とはよく言ったものである。
つまりは、お金の問題だけに限らず、善と悪・利と害は「背景」と「時の差」にあるという事ではなかろうか。