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春分(太陽黄経0度)

春は生意(物を生ずる心)があるといわれる。春がどうして夏・秋・冬の三時

を包むといわれるのか? ・・・人間は自然物であるため自然を観察し自然に

即した生き方をしてきた事から自然界の法則を知っている。それが季節の分類

である。四季の気は温と涼と寒と熱である。

・・昔からいわれていることに、春の物を生ずる心が夏・秋・冬を一貫してい

ること表現して包得としている。包むとは、根源の同一性と一貫性を意味して

いるとされる。次のことばでも表わしている。

春は則ち生の生なり。

夏は則ち生の長なり。

秋は則ち生の収なり。

冬は則ち生の蔵なり。

秋・冬の四季においては、つまり、涼と寒とは物を生ずる事ができない。夏気

は、また熱くて物を生ずる時ではない。ただ春の気は温厚であるので、そこに

物を生ずる心を見る、というのである。

      夏になると、生気が長じ

        秋になると生気が収まり

          又、冬になると生気がかくれる、と。

もし春に物を生ずる心がなければ夏・秋・冬の三時もすべて空無に等しい、と。

・・さて、今の時代の春期の入学式にみる論議も、春の生意からして自然の姿

であり、理に適っているということになるのでは・・。

「春分の日」を目前に、本日は「春うらら」

そして、まもなく初候、つばめが帰る(元鳥至)となる。