先手がよい場合、後手がよい場合
速報のニュースから、北朝鮮が「核の先制攻撃の権利を行使する・・」との声
明を出したという。・・・・・平和な時代を生きている我々には俄かに信じがた
いニュースであり、朝鮮半島の緊迫感が伝わる内容に驚くばかりである。数年
前に書いた「北朝鮮の後継者」というブログから拾ってほしいが、2013年
の金正恩氏のDNA通りの状況にある事が心配である。一旦有事の際には万やむ
得ない状況があっての事だと推察するが、その浅見、そのさかしら、その無謀
は憐れむべきであり、悲しむべきである。
平和は「若」、戦いは「老」、「老戦」という言葉が古代中国にはあるように若い
後継者に戦いは向かない。若者は平和が似合うというのである。
此処に古からの大きな知恵がある。「先手」「後手」を兵法の中で捉えている。
その一部を紹介したい。
・・・正義のための戦いならば、率先して兵を起こし敵の機先を制して正義の
戦いであることを天下に明らかにした方がよい。だが、互いの利害に基ずく敵
対関係であったならば、万やむを得ず応戦するという態度を崩してはならない。
たとえ、戦うべしと判断される場合でも、敵から戦いを仕掛けてくるのを待つがよい。
つまり、後手を取ることによって大義名分を勝ち得るのである。
とはいえ、平素から戦備を十分に固めておくことの必要性は言うまでもない。
敵の出方に応じて千変万化の態勢を取ることが出来るかどうか、
全軍を一紙乱れぬ統率下におく事ができるかどうかである。
「常山の蛇勢」をつくれるかどうか・・・ということである。
先手必勝とは、囲碁から出た言葉。必ずしも戦いにおいて「先手」がよいとは
限らない。「後手」の方が有利な場合も多い、まして、人間関係においておや。
「戦争とは、暴虐な者を罰し不正を抑止するための万やむを得ぬ手段にすぎない。
とあるが、不屈という激しさを内包している人々には・・通じないものが
ある。また、致し方ない事とはいえ、なんとも「兵法は全て隣国からの知恵
である。隣国との関係も「先手・後手」以前に「真の知恵」を持たなければ「真
の勝利は得られないではないか、と。