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法則性の追求

自然界の営みは「五風十雨」の言葉をつくり、春が来て、夏を向かえ、秋が過

ぎ冬に至るという、規則正しい法則性の中に繰り返されていて見事にバランス

が取れている。そして、そこに生きる人間を含めて全ての事物は、バランスを

備えたものほど、長く存在し、アンバランスは、時を得ても短い間に消滅の道

を辿るという法則性で動いている。始まりがあれば終わりがあるというのも法

則である。そして、そのバランスの量りは陰陽にある。世の中においても長い

歴史の中に平和と動乱の繰り返しを知るはずである。さて、今の世の中が平和

に向かうか動乱に向かっているのかは、その国の出発点から、その国のトップ

の運で決まるというのも法則なのである。算命学的見地からして、更には役目

論からして考察してみると、93代総理大臣の役目とは平和に陰りを出し数年

後の動乱を暗示する役目が与えられ、94代総理大臣が「亡国の声」を引き込

み、95代総理大臣がその最後を受け持つ役目となった。そして、その後96

代である現総裁の役目と言えば、平和な時代か?動乱の時代か?何れかへの舵

取りをするのが役目となり・・・さて、動乱か?平和か?陰陽論の法則から言

えば、陽の後には陰となるのである。昭和22年の憲法制定日が国の出発点で

あるので、本来は2017年頃から徐々に平和期向かうはずであるが、実は、

これが改憲の方向に進めばこれは動乱方向である。

古人の言を借りれば「僧兵、世を乱す」というトップの「命」に巻き込まれ事

は御免蒙りたい。そこで、「司馬法」という兵法書を訪ねてみると、こうある。

「どんな大国であっても好戦的な国は必ず亡びるという法則がある。逆にまた、

どんなに平和な時代でも有事に備えていない国は必ず危うくなるという法則が

ある。つまりは、国家を維持していくなら、攻防両面の備えをしなければなら

ないという事だ」・・と。

・・・智謀とは、根本的な問題について思慮を働かすことである。・・・

広く知られている事に、徳川家康は「孫子」をはじめ「七書」を印刷刊行させ

ているが、戦争の法則性を最初に探求した人物が孫子であったという。「孫子」

を日本にもたらしたのが唐に留学していた奈良時代の大学者・吉備真備である。

やはり、1500回という戦いの記録を作った国は、その道のプロフェッショ

ナルを創るのは自然必然ではないか、と。ナポレオンも「孫子」を座右の書と

した。ドイツ皇帝ウエルヘルム二世も欧州大戦で敗れた後「孫子」を知り「二

十年前にこの書物を読んでいたら・・」と、述壊したという。ヒトラーにして

もアルデンヌ丘の戦いに「混水模魚」の計を使い成功している。又、毛沢東は

(持久戦論)の中で「孫子」に触れていて、戦争は他のどんな社会現象にもまし

て見通しの立てにくいものだがそれなりの法則性を持つ社会現象だとしている。

科学的な心理だとも。さて、この件、壮子に問えば、善悪は時の差である、と。