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立春(太陽黄経315度) 

本日、二月四日は「立春」である。太陰太陽暦(旧暦)では正月節で、本日

から2013年が始まるという事になる。新韶如意(新年おめでとう)である。

太陰太陽暦と現代の太陽暦との違いと言えば「時間暦」と「時間・空間暦」の

違いであって「太陰太陽暦=時間空間暦」「太陽暦=時間暦」となるのである。

つまり、太陰太陽暦(旧暦)では空間を現す「十干」と時間を現す「十二支」

という「干」と「支」の合体の「干支」から出来ており、そこには古代人の自

然観・自然思想から生まれた大きな宇宙観の意味合いが付されているのである。

つまり、太陰太陽暦=干支暦である。間違っても「陰暦」とは言わない。

干支暦に直すと、2013年2月4日は、癸巳年・甲寅月・辛丑日となる。

さて、旧暦から新暦にコッソリ替えられたというのは、単なる外交上の都合

からであるが、旧暦は太陽暦より1年で11日短い、つまり、1年が13か月

となる。そこで3年に1回ほど閏年をおくという事である。ちょうど明治6年

がその年であった。そこで、明治5年12月3日を新暦(太陽暦)の明治6年1

月1日としたという事である。明治維新の直後である。

因みに、中国でも1912年の元日から西洋暦に切り替えている。これも外交

上の都合とある。古から暦は大切なものでそれぞれの国において作られている。

ことに、国境というものが決まっていない中国では諸外国に対して「朝貢観

念」「五服説」という観念から五服の思想というものを打ち出し、中国文化を認

めさせそれに従う条件として「暦」を与えたという歴史的事実がある程である。

「暦」を持つのは高い文化を持つ国であるという事である。

そんな時代にあって、幸いにも日本は、内乱を期に遣唐使の廃止から自国に目

を向けたのは、中国の長期内乱のお蔭であると言えるのではないか、と。

平安時代は国風文化の時代である。かな文字をつくり、「暦」を造るという技術

があったお蔭で現在の安定した国があるとも言えるのではないか、と。

さて、暦からくる季節の分類法は、中国において古くから伝えられているが、

それもそのまま日本にも受け継がれている。その「二十四節気七十二候」の説

明については後日に回すとして、今日は立春。一年は太陽の回りを地球が一周

する事であり一周は360度である。一年は4季節であるので一季節は90度

である。春分点(3月21・22日頃)を太陽黄経〇度と定め、夏至は太陽黄経

90度、秋分点は太陽黄経180度、冬至点は太陽黄経270度となり、一年

の始め「立春」は太陽黄経315度となるのである。