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烏孫公主

風蕭々と・・秋深まり、草木が黄ばみ落ち、秋はしばしば悲しみの季節と感じ

られる。11月の暗い野原に出ればその昔、「秋風泣女の相」と言われる女が、

今にも泣き出しそうな顔をして話しかけてくる、そうな。そんな話も真実味を

帯びてくるから、・・不思議である。

漢の武帝の時代、圧迫政策の犠牲になった烏孫公主の話である。結婚の本は

政略結婚というのは勿論の事である。武帝の甥江都王健の娘として生まれた公

主ではあるが、父の不品行を武帝に咎められ父親の健は自殺している。その

後、公主は武帝の命で烏孫王昆莫の妻となったのである。匈奴と対抗する為、

烏孫王との同盟を必要とした勿論政略結婚であった。遊牧民族の国へ嫁いだ

のも公主が最初の一人である。その上、烏孫王は年老いており言語も通じず、

会うのも年に一回二回対面するだけということで淋しさのあまり、この歌を作

ったとされている。高度文明と洗練された生活を送っていた当時の中国人にと

っては遊牧民の非文明的な暮らしは耐えがたかったに違いない。ましてや貴族

の女性である。この時の公主の苦悩がいかばかりであったか、その「非愁歌」

がいっそう愁い悲しみを語っている。

       非愁歌         悲しみ愁いての歌                                  
  吾家嫁我兮天一方  吾が家は我を 天の一方に嫁しまたい
  遠託異國兮烏孫王  遠く異国の 烏孫の王に託せたまいぬ
  穹盧爲室兮氈爲牆  穹盧を室と爲し 氈を牆と爲す
  以肉爲食兮酪爲漿  肉を以て食と爲し 酪を漿と爲す
  居常土思兮心内傷  居常く土を思いて 心内傷む
  願爲黄鵠兮歸故  願はくは黄鵠のとりと為りて 故に帰らん

<私の家は、私を空の一方のはてにお嫁にやり、遠い遠い異国の烏孫の王様

にお預けになりました。テントが住居になり、フェルトがその家の壁、肉がご飯

代わり、馬乳が飲み物です。こんな土地に住んで片時の休みもなくお国のこと

を思い続けて、胸の中がずきずき痛みます。私のただ一つの願いは自由に空

をかける、あの鴻鵠の鳥になって故郷へ飛んで帰ってしまいたい、それだけな

のです!>
鴻鵠の鳥というのは一種の大鳥である。また遊牧民の飲食、肉や馬乳を常用

することは、当時の中国人にとってはあきれた野蛮な習慣に見えたのである。

実際の烏孫公主は、その後、漢風の宮殿を建ててもらってそこに住んだとされ

ている。そして、烏孫の王が老齢のために死ぬと、公主はその子供の妻とな

り女の子を一人設けたそうである。当時の遊牧民続のしきたりでは、父が死ぬ

とその妻まで子に相続される習慣があったようなのである。