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非礼とは?

「非礼」を秩序と安定を乱すものとして最も警戒したのが、古代人「晏嬰」と

いう名宰相であった。晏嬰は「法」を時に「礼」と対置させてまでその重要性

を説いている。なぜなら、「礼」こそ、人と禽獣を分かつ所以であるとして、上

下の秩序はこれによって守られるべきものであるから、礼が滅びれば人間関係、

集団、やがて国家も滅びるものであるとしたのである。・・・然り。

・・こんな逸話もある。周の公子・王孫満(おうそんまん)がまだ幼かった頃、

周の北門を通過する秦軍の様子を見て秦の敗北を予言したというのが「殽(こ

う)の戦い」紀元前六二七年である。この様子を見て王孫満は襄王に告げた。

「秦の師、軽くして礼なし。必ず敗れん。軽ければすなわち謀すくなし。礼なければ、すなわち脱す。剣に入りて脱し、また謀ること能わずば、よく敗るる
ことなからんや」。

つまり、秦軍は兵士に落ち着きがなく、礼儀をわきまえていないから、負け

るにちがいない。落ち着きがなければ作戦を練ることは出来ないし、礼をわき

まえなければ戦場で統制がとれず、敵地に入って作戦はたてられない。統制が

とれないとあってはどうやっても勝てるはずがない、という事に。そして結果

は予言どうりの敗北。何と子供にして驚きの眼力である。さすが、長じての周

王朝の重臣である。楚の荘王から国を狙われた時の事、「周の国衰えたりといえ

ども、なお鼎の軽重は問うべからず」と、礼儀にのっとり危機を切り抜けたと

いう話が残っている。

さて、この話、現在に戻しても「礼」に於いては、同じ扱いを必要としなけれ

ばならない筈であるのに、まさかの「禽獣」に近い行いが許されているではな

いかと、眉を低くするばかり・・である。・・政治の乱れはどうか、と。

・・・・人は前に出るばかりが成功につながるとはいえない。犬はよく吠え

るのが良いのではなく、人はよく弁が立つのが賢い人ではないというが、正に

自分のやるべき仕事を途中で投げ出してまで「俺が、俺が」では、あまりに、

恥ずかしい事、お粗末ではないかということである。

何分にも「非礼」は即、政治家には不向きである。礼のない言行は即、有事を

呼び起こす危険を含んでいる。

「礼」の本は人の心に宿る「敬い」にあるといいますから。

この「敬い」は、心の慎みにあると言いますから。

「礼」こそ、政治家に限らず万人の大切な心得とすべきものであるようだ。