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「人物」鑑定の目安

古来より国を治めるのに重要な人材登用、人事については、どの国・どの時代

においても相当の苦労があったようであるが、今や「人格DNA」にある人間分析

は暦術完成以来の見事なまでの分析可能な状態を得ることが出来るという便利

な時代である。勿論、暦から割り出す資質に環境をプラスして読み込むという

技術に数十年という学びの「技」が必要であることは言うまでもないが、しか

し、まだ「知る人ぞ知る」という小さな分野に留まる事は何ともモッタイナイ

残念な事と言わざるを得ない・・それほどに価値の高いものであり、何千年・

何万人の手で研究されてきた人物研究が、その成果が、今日のそれであるのだ。

ところで、

昨今の政治家の人事に例をとっても、何を目安に人物択びをしているのかと思

う人は多いのではないか、と。とてもとても、適材適所にも的を得ない採択が

成されているようで、択ぶ人物の器量と利害で決めているのであれば大変怖い

事ではないかと思ってしまうではないか。

紀元前の昔も今と同様な話があった。その昔、孔子の弟子、子貢が問うている。

「今の政治家をどう思いますか?」と。

孔子の答えは「ああ、斗筲の人、何ぞ算うるに足らんや」との言葉であった。

つまり、「斗筲の人」とは、器の小さい小人物の事を言うらしい、等等。

古代の人材登用に於いての話は興味深い。その一例として紀元前(445〜397)

魏の国の名君として名を残す、初代文候の国造りの話。富国強兵に努めるべく

李克・呉起という人材を招いて最強の国を目指した。先ず国政に参画していた

李克に文候が意見を求めた・・。

「貧しい家には、賢い妻が必要なように乱れた国には立派な宰相が必要だと言われるが、今、二人の宰相候補がいて、いったいどちらに決めたら良いものかと迷っている。いい案はないものか」と。

その時に李克が人物鑑定の目安として答えた5項目がある。

「居りてはその親しむ所を見、富みてはその与える所を見、達してはその挙ぐる所を見、窮してはその為さざる所を見、貧してはその取らざる所を見ると。

1、 ふだん誰と親しく交わっているか。

2、 富裕なとき誰に与えるか。

3、 高位についた時、誰を登用したか。

4、 窮地に陥った時、不正に手をそめなかったか。

5、 貧しかった時、貪りとらなかったか。

この目安は、現代の後継者選びにも必要な五項でしかも間接的で的を得ている。

又、呉起についても李克の意見を求めたところ「こと、用兵ともなると呉起に

勝るものはおりません」と答えている。

早速、呉起は文候に仕えることとなり、魏の国の長官という形で目覚ましい活

躍で期待に応えたのである。

「諸侯と大いに戦う事七十六たび、全く勝つ事六十四たび、、余は則ち約く解く」

つまり、七十六戦して六十四勝十二引き分けだったというのだから、無敵の強

さと言っても過言ではない。こうして、魏の国が領土を四方に拡げ千里先まで

版図とし得たのもすべて呉起の功績であったという。

「呉子」は「孫子」と並ぶ兵法家ではあるが、独自の人物鑑定による適材適所

集団をつくり、どんな重囲も打ち破ることが出来る戦闘集団の精兵を作り出す

など、際立つ才能の持ち主であったことは言うまでもない。このように、

如何に優れた人財を見出すかということが、繁栄か亡国かの運命の分かれ道に

なるという事である。第一の心得としたい。