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張家界の山水

中国は広い!
「張家界」の絶景が三十年前に発見されたという事には驚きであるが、その見

事な映像を見る機会に恵まれて、名前の由来を思い起こす事となった。

その昔、秦の始皇帝暗殺に失敗し、その後、漢の高祖劉邦の知恵袋として活躍

した張良が晩年、仙人生活を求め移り住んだところから張家界(ちょうかかい)

の名が記されたという事である。実は張良は「仙人」を実際に試した最初の人

物ではないかとも言われている。

さて、仙人とは?

「列子」の説からすると、穀物を食べず、山気を吸い、松露を飲んでいると、

肉体はやせ細り枯木のようになり、ついに魂だけが離れて空中に浮遊する。魂

が肉と欲から解放されて自由の堺にさすらうようになった者を仙人という_と。

高祖亡き後、残忍な呂太后の懇望を堂々と退けた下りがある・・「われ三寸の口

舌を持って帝王劉邦の師となり、万戸の所領を授かりしは、布衣(庶民)の身

の極みでござる。この上は世間を捨てて仙人のまねでも・・・・」と。

それでも、さらに恵帝の後見役を押し付けようと迫った呂后には、「人の一世の

間に生きるは、白駒の隙(すきま)を過ぐるがごとし。自ら苦しむことは、も

う御免である」と固辞し、高祖より八年遅れてなくなったと伝わる。権謀に長

けた者は、権力世界の恐ろしさから逃れたかったのではないか、と。
因みに、「白駒過隙」の意味は「人生の短さは家と家の隙間を白馬が通る時間の

ように短く、あっという間で振り向けども、もういない!」ということである。

・・・人生の短さを現した言葉は多く、人間の数ほどにあるかもしれない。
「人生は、朝露の如し」とも。 「一炊の夢」とも。 「邯鄲の夢」とも