« 「助長」 | メイン | 悲劇の宰相 廣田弘毅 »

「睚眦の怨みにも必ず報ゆ」

嘗ては、栄える隣国・唐の都へと憧れ国を挙げての文明・文化の吸収を急いだ歴史があった。

隣国は確かに深い井戸であり、短い釣瓶(つるべ)ではとても汲みきれない程。

歴史の国は、諸氏百家・九流の術士を生んだ老成した人間学の国である。

その学ぶべきものは多く、現に、この国の年号までもが古代中国との繋がりを持っている。

昭和・平成の年号は古代中国の「書経」の中から取り入れられているのである。

「百姓昭明にして、万邦を共和す」このくだりから「昭和」の年号がとられた。

「地平らかに天成り、六府三事允に治まり、万世永く頼るは、これ汝の功なり」

この言葉から「平成」の年号が採用されている。

歴史の国とはいうものの正確な歴史記録はあるのか??

実は、1912年、辛亥革命後、孫文が中華民国臨時政府を得て大総統の就

任式に於いて、黄帝紀元四千六百九年という字が見えたらしい・・。

それから百年、「中国」という国名になって、ちょうど百年目になるのである。

今年は黄帝紀元4千七百九年という事になろうか・・。

これだけの歴史の国は、過去、戦いに於いては一万五千回を記録し、戦術・人間学に於いては類のない国と言えるのではないか。

其れだけに格言も、また多い。

「一飯の徳にも必ず償い、睚眦(がいさい)の怨みにも必ず報ゆ」という格言とは、「受けた恩は忘れず返礼をし、眼(がん)を付けられただけでも必ず報復するという意味になろうか。

この話、古代中国に、范唯(はんしょ)という名宰相がいて「遠交近攻」という外交戦略を考え出し秦の優位を決定的なものにした人物、范唯の生き方であったという。

また、近年では、文化大革命の女帝と呼ばれた江青女史の話、「受けた恩も怨みも全て返した!もう思い残すことはない。」と自ら命を絶ったのが、毛沢東亡き後の1991年5月であった。このように、国民性によっては、恩にしても怨みにしても淡泊ではないという事を知るべきである。

歴史観の違う国の人とどう付き合うか?という事が、重要な部分であって歴史を鑑みても広い視野を持っての働きかけが鍵を握るようである。

さて、史記の天官書に「歳星に位置する国は征伐してはならない」とある。

「歳星」とは方向的に東に位置し、平和・安定を意味する・・簡単な意味合いは、「平和で安定している国は守りが強く、必ず長期戦になるだろうから、戦いを仕掛けても勝ち目がない。歳星が去った不安定になる時期を択ぶべし。

という事で見極めの条件としたようだ。

これも、一つの軍略である残念ながら、今の日本は「歳星」の位置する国ではない。

つまり、国が不安定で疲弊している状態であり他国が攻撃しやすい状態にある

ということになるではないか・・・。