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「助長」

「助ケテ長ゼシムルコト勿レ」の「助長」は孟子に出てくる故事であるが、この話には、時代を超えて何方の心にも、心温まるものを残すようである。

・・・宋の国の愚かな農夫が早く苗を成長させようとして、一本一本の苗を引っ張り上げ、とうとう枯らしてしまったという・・話。

ところで、この「愚かな男が・・」という書き出しで始まる故事成句には必ずと言ってよいほど「宋の国」「宋人」が出てくるが、それにはちょっとしたエピソードが隠されている。実は「宋の国」とは、

その昔「紂王と妲己」の暴政で滅びた殷の国の人達が、その後に作った小国であって、その為それ以降、近隣からは亡国殷の国を見下げ、揶揄するという意味でも多くの故事が作られ残っているのだと言う事である。

何とも、亡国に至った「北鄙の舞」や「靡靡の楽」が悲しい音になって聞こえてきそうである。が、しかしながら、殷王朝は夏王朝後を土台として、さらなる文明の高さがあった国であり、民の中にはその技術・文化を地方に売り歩くという、生活のためとはいえ、商業についてはかなりの進歩的芽生えがあったようである。因みに、今でいう「行商」は、この宋の人たちが始めたとも言い伝わっており、本来の国名も「宋」ではなく「商」という国名だったとも、ものの本には記されている。

さて、本筋に戻ると、この故事は現代人には、非常に分りやすく愉快な戒めであるといえるではないか。
例えば、子供においては、子供に手を添えてむやみに引っ張ってはイケない。
競って詰め込み教育を成し、その重りで子供の成長を止め枯らしてはイケない。
周知のように、助長した頭脳の発達は早いほど電池が切れやすく、人との交流においても早い結びつきより、遅い方が良いのは、よく人を見極められるからで、その関係を育てるために枯らさないことだ。
ゆっくりと自然に育ち熟成した子供は確かに情緒豊かで大物になるが、小人物は大体において、子供時代、親の手が加わり、頭の切れ味が良かったと言われる人に多いようである。
例えて、果物の中の柿、渋柿と甘柿があるが甘柿は熟成時間が少ないと甘柿にはならないのだ。自然に任せるのが大切である。
柚子の木においても、助長なしの実生柚子では「柚子の大馬鹿18年」といわれるほど、結実までに10数年と成長に時間がかかるが味が良いのである。
尤も、今の柚子は、時代に合わせて助長されているらしい。接木して数年の勢いで収穫されるのだとか。さて、その見分け方は、助長された柚子は綺麗であり、野暮ったく香りは良いが汚いのが実生柚子であるそうな・・。

いずれにしても、自然の動きに勝るものなく「助長」、敗多しとも言えようか。