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守株待兎

宋人(そうひと)に田を耕す者あり・・。ではじまる(守株)という成句。

北原白秋作詞の「待ちぼうけ」という童謡を聞いて思い出した。

話はこうである。

中国春秋戦国時代、宋という小さな国の農夫が畑仕事をしていた。

ある日、兎が走ってきて切り株にぶつかり首を折って死んだ。

それを見て農夫は、また同じことが起こるものと思って仕事もせずに

毎日切り株を見守っていた。

そのうち畑は荒れ果てて国中の笑いものになったという故事である・・。

この話は、偶然の幸運をあてにする愚かさの喩として伝わっているが、

この故事はなんとも、のどかで絵を見ているような心地良さがある。

「意、古と会す」の心境を人に与えるようである。

さて、物事には「当然」があり「自然」があり、また「偶然」がある。

立派な人は「当然
(やるべきこと)をきちんと行い「自然
を学び、

「偶然
に戸惑うことはない。

ところが、凡庸な人は偶然の成功や失敗に捕われて努力や反省がない。

だから、再び失敗しても当然の結果や報いである事に気ずかないのである。

これでは、いつまでたっても偶然と言うものが分らず、

もちろん、当然のこともわからない・・。

たとえば、「長寿と短命」「貧賤と富貴」

これらはみな偶然に支配されるものではない。

どちらも、それ相当の理由があってのことなのだ。

物事はみな原因と結果で成り立っているのだ。

「偶然」を期待する事を良しとしない生き方で

心が落ち着き、自然に過ごすことが出来るというものではないか、と。