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愚公、山を移す

中国古典思想の『列子』の中に「愚公、山を移す」とういう古代の寓話があります。これを毛沢東が1945年の中国共産党第七回全国代表大会で行なった閉会の辞の中で引用し、一層知られるようになった話です。
『愚公(ぐこう)<おろか者>の家の前に二つの大山があり、どこへ行くにも不便でしかたがない。そこで愚公は家族と協力して、石を割り土を掘り、山をきりくずし、その土砂を海に捨てに行った。そして一往復するのに半年かかった。知叟(ちそう)<りこう者>が「愚公さん、あんたも、もう年老い先が短いのに」とそのバカらしさを笑うと、愚公は答えた。「おまえもずいぶん分からず屋だな。私が死んでも子供がいる。子供が孫を生む。孫がまた子供を生む。子供にまた子供が出来る。その子供に孫が出来る。こうして子孫代々受け継いで絶えることがない。だが、山は今以上高くならない。平に出来ないことがあるものか」天帝がこれを聞いて感動し、二つの山を移動させたという話である。』

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 “愚こそ智”一般にこの故事は人間の努力の偉大さ、意志の強固さ、勤労の尊さを語るものであると受け取られています。しかし『列子』では“智は愚であり、愚こそ智である”と言う寓話として扱われています。起業家の成功例の中で「その業種の素人であったからこそ成功した」という体験談を良く耳にします。そしてある店頭販売の形態を取る企業の販売員の成功例と失敗例を分析した結果、以下のような結論を得ています。
 販売経験があっても結果が出せない人と販売経験が無くても結果が出せた人の違いは『前者は10人接客しても自分の経験から買ってくれそうな客3人にしか新商品を紹介しないのに対して、後者は10人全員に必ず紹介した結果、前者より良い業績が出る』と言うことです。そして後者は新商品の紹介を重ねるうちに説明のコツを体得してそのノウハウが全体の業績向上につながります。そんな時「どうやって販売したら売れるか」と質問すると決まって『特別の売り方はしていない。唯、全員のお客さんに必ず紹介する』という答えが返って来ます。
 これは自転車に乗れるようになった子供に「どうやったら乗れるようになったか」と質問しても「何回も転びながら練習した」と言う答しか帰ってこないことと同じである。これを「知識」と「知恵」の違いで説明しますと知識をいくら持っていても「行動」が伴わないと知恵になりません。そして問題は知恵は言葉では説明出来ない世界であると言うことです。またこんな話があります。『ある大工の棟梁が施主のご主人が本を読んでいるのを見て「何の本を読んでいるんですか」と聞いた。「昔の偉い人の本だ」と答えると「それならクズだな」と言った。』その本意は「本では知識は伝えられるが、本当に必要な技(知恵)は伝えられない」と言うことであります。
 つまりどんな成功者の「ハウツウ本」でも知識としては伝わるが、本当に必要な知恵は伝わらないため、ほとんどの読者は結果が出せないということです。そして知識は頭で憶えるものですが知恵は行動により身体全体で憶えるものであり、頭で憶えた知識は時間が経つと忘れますが、身体で憶えた知恵は終生忘れることがないというオマケまで付いています。自転車に乗れる人で自転車の乗り方を忘れたという話を聞いたことがありません。