隋(まにまに)に「華氏(かし)の健忘症」
宋(そう)の陽(よう)里(り)の華氏(かし)、中年にして忘(ぼう)を病(や)める。
朝(あした)にとり夕(ゆうべ)に忘れ、夕(ゆうべ)に与えて朝(あした)に忘れる。
塗(みち)に在っては、則(すなわち)ち行くことを忘れ、
室に在っては、則(すなわち)ち座することを忘れる。
今は、先をしらず、後には今をしらずとある。
さて、さて。
「天涯孤独」・寄る辺ない人が増えている。
また、古言に「鰥(かん)寡(か)孤独(こどく)」もある。
「鰥(かん)」とは、妻を亡くした男である。
「寡(か)」とは、夫を亡くした女である。
「孤」とは、孤児。
「独」とは、老いて子のない者とある。
人間は、時を持って、年齢を重ねる事の恐れに出会うが
忘を恐れるという意識過剰よりは、忘却の無意識状態にこそ
大きな救いがあるように思う。
六十歳は[耳順] 七十歳は[従心]とは、大きな「知恵」ではないかと。
そもそも、人間は誰しも無意識の状態でこの世に送り出され
小さな身体に束の間の寿命しか与えられていないのだから。