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家に居るに二語あり!

「思いやりが深ければ、不平不満が無く、
倹約であれば、費用に不足しない」・・と。
ある日、バスの中での事、幼稚園くらいの男の子と母親の会話を耳にした・・。
母親の携帯電話の写真を見ている・・。

子供:「見せて!ん・・この男の人、だあれ? 祐子ちゃんのパパ?」

母親:「ちがうよ。」

子供:「じゃあ、だあれ?何処の人?ねえ、ねえ。」

母親:「この人はねえ、ママの大事な人。ママのお友達!」

子供:「フーン、誰なの・??」

母親:「この人はね、ママにとって智君と同じくらい大事な人だよー。」
    
子供:「イヤダー・・・ぼく・・変な人!・・」
男の子は、携帯を投げつけてしまった・・・・・。
母親:「何するの?駄目でしょ!!」

このバスの中での親子の光景に今様の「離婚組親子」の形を見たような感じである。
昨今、結婚しない人も多いが、離婚の数も甚だしく増えているようだ。当然、それに絡んだ「新・親子関係」の事件の数も連日のように起きている。そこで、深く考えなければいけない事として、子供を持っての離婚・再婚は大変な波乱を覚悟しなければいけないと言うことがある。

離婚に際して、子供が居なければ、これは家庭とは言わないところから問題なしとするが、又、再婚の可能性を持たない離婚も別として、問題は男の子が居る場合である。
男の子を持っての離婚の後、恋愛・再婚は波乱に富んだものとなり、殆どの場合、男の子の心に闇を作り子供を不幸にしてしまうという事である。
人間には男女の特性があり、男の子は精神性・女の子は現実性というところから、女子は現実を受け入れていく本能を持つ為、再婚においては問題なしと言えるのであり、又、父親の存在は女子の未来の家庭生活にも直結する等、精神性の欠如は父親を必要とする。
それに比べて男子は精神性、新しい親子関係には馴染みにくく、男性の方も他者の子供を上手に受け入れられないという難解な問題が起こってくる。其処に、簡単に離婚という形を採ってはいけないという理由がある。
そもそも結婚とは、個から集への大きな変化であり、人間の本来の生きる形「群れて生きる」という習慣を人間進化の元としていて、古来よりの常識的形である。「個」で生きる習性の動物との違いがここにあるというものである。
結婚に才能を必要とするならば「忍耐」と言うことがいえる。自己愛の強い中にいる内は結婚という最小集団でさえも経営困難となり兼ねない。つまり「結婚の才能が無い」ということになろうか。
しかし子供を持てば才能云々・・以前に責任を持って家庭を継続していく事が本来の大切な社会常識となる。
大切な事の一つとして、親とは子供の成長と共に心の成長を成し、未来の子供の家庭創りに貢献しなければならないという役目がある。
未来の子供が作る家庭が現状の親から学ぶ家庭なのであるから途中変更した家庭を経験すると同様に子供も家庭崩壊を繰り返すということになるのである。
原因は環境にあるということで、安定の無い家庭から育つ子供は落ち着きが無く、じっくりと考える事・学ぶ事の行為に欠点が出ること間違いなしである。
そこで、不幸な子供を増やさない為にも大事な「すじみち」として提言したい!
「忍耐」とは親の役目なのである。家庭生活においては特に「母親の役目」である。
子育てという大きな「役目」が終るまでは「自我」は出すべきではないように考える。
それが晩年の「豊かな幸福」を得る「手段」であるように考える。
「家に居るに二語あり!」
「夫婦別あり!」