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方向を間違えた努力は自我である

・・・こんな話がある。
昔、ある男が北へ向かってひたすら馬を走らせていた・・。
それを見た人物が、「そんなに急いで何処へ行くのだ」と尋ねたところ、
男は「楚の国へ行く」という。
「楚の国は南にある、方向が逆ではないか?」と、聞くと
「馬は飛びっ切り上等だ!」と答える。
「良いかもしれないが、道を間違えている」と、重ねて注意すると
「旅費もたっぷりある。」と言う。
「そうかもしれないが、道を間違えている」と重ねて注意したところ、
「いい御者がついている」と答えたという話である。

こういう人物を時々、見かけませんか?

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大きな目標を立てて、一生懸命に努力はしていても方向を間違ったのでは、
どんどんおかしな方向にズレて行くばかりで、妙な方向へそれて行く。

 「一生懸命だから、人の言葉が耳に入らない。」
 「忙しそうだから、人は言葉をかける余地がない。」
 「失敗しても運が悪かったのだと思うだけで、物事の根本を考えない。」

人生で何度も同じ過ちを繰り返し、「自分は運が悪かったのだ。」と、ただ思う。
「努力と自我」を勘違いして、唯、忙しく頑張っている。
こういう人物を時々、見かけませんか?

「真の努力と言うのは、己を知る者のみに与えられた行為である」と。
(宿命+土壌)×努力=運命