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人心乱れれば国滅ぶ

礼節とは?
「人心乱れれば国滅ぶ」・・数千年前の古代人の言葉が浮かびます。
国が傾き始めると人間的に未成熟なリーダーや勘違いした大衆が勝手気ままに行動し、やがて秩序が崩壊する事になります。
本来、自分が分をわきまえるべきなのに、上の者に刃向かい非を指摘されても無視して平気になり、それによって秩序が乱れる事に対しても何の危機感も感じない、
そんな人間がが増えてきているのでは無いでしょうか。
過去歴史を振り返って見れば、国民が真っ当な道をここまで踏み外している国が滅びなかったためしがありません。

さて、人間と動物の違いは何であるのかを考えてみると、それは「心」にあるのではないでしょうか?
「心」にはそれぞれに何段階もの次元があり、感じ方・見方が人物によって違うというところにズレが生じてしまいます。
そこで人間関係においては、スムースな流れを作る場合においては万人共通の常識に従い「心」を外側に現す時に「礼」を以って行う・・それが最善の策とされてきました。
粗雑さも心ですが、これは美意識の問題であって「礼儀」に則って行動した方が人間関係も平和であるし美学的にも好いはずであると考えられています。

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昨今の大臣の失態は、知事の側にも大きな問題あるのではないでしょうか。
そもそも、国は組織であって、ただの同類集団ではないはずで、組織は必ず利益を目的とし、上下関係であるのは当然です。
言い換えれば「人間は平等であるが、役目に上下関係がある」という事です。これは特に現代の組織人の認識すべき事と言えるでありましょう。
今回の場合、大臣の発言には、ごもっともな感はありますが、それにしても大臣たる資質を問われる態度と言葉遣いには・・「礼儀」に適った面はなかったという事になります。
  父子親あり。
  君臣義あり。
  夫婦別あり。
  朋友信あり。
  長幼序あり。
以上は大臣の仰りたかった言でしょうが、大切な事は「教えるに人倫を以ってする」と言うことであり、意識の低さは否めませんし、常識の無さ、知性の無さ、といわれても仕方がないでしょう。
礼は顔つきに現れるもの。 服装や態度においても同様です。

昔から「長はまず、外面の美を表し能力を形にしなければならない。しかる後に内面の美が人心を把握していくのである」・・と言われています。
現代のような、親子関係までもが横関係(フレンド)で成り立っているようでは「礼儀」などという言葉は死語として敬遠されるかも知れませんが、
学び教えると言うことは「縦関係」の親子関係でないと伝わらないというのが真理です。

この考え方が失われたばかりに、人間関係が変形し、争いが起こり、家庭も壊れたり国が廃れていくもとになっています。
人間を重厚にさせるには礼節に勝るものはないのに・・です。
尤も、「礼は庶民に降さず・・」という事ですから、高いレベルでの礼儀ではなく最低のランクの現代に必要な常識的礼儀についてでありますが。

数学者であり文学者でもあった岡潔氏は今から50年も前から、この「礼儀」について「顔と動物性」というお話の中で指摘されていて、日本の未来を案じていました。
引用させて頂くと、「・・天の秩序のもとは「礼」なのだ。およそ引き締めるものは全てみな「礼」に属する。
礼を抜きにすると「馴れる」ことになり、ここから獣性が入ってくる。しかし今、真善美は教えにくい」・・と。