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外交手腕を問う

人間関係は今も昔も変らない。自分を中心において、目上・目下・内側・外側の四方向の関係で動いている。又、人間の本能も変らない。人間には五つの本能がある。それは、
攻撃・守備・伝達・習得(知恵)・魅力(信用)本能である。しかし、人物により本能の分量の違いがあり、そこで適職・適任が決まると言うものである。であるので、これを知らずに的確な人選を怠れば、それぞれが100%の力が出せないことになる。
これが企業内における歯車的存在を選ぶなら、差ほどの問題はないにしても、国の大事な外交とあっては疎かには出来ない、重大な問題となる。人間に「攻撃本能」がある限り争いは必ず起こるからである。

さて、賢人外交で言うなら、古代中国は斉の国に知恵袋として活躍した、名宰相の晏嬰(あんえい)の言行は時を越えて魅力的である。斉の国といえば孫子・呉氏で有名な「兵法」のメッカであった事でも知られている国である。その斉国の晏嬰が1100キロ離れた南の楚の国に使いした時の話しを、ちょっと・・・。
そもそも、楚国は長江中流の原住民だと言うことで北(秦国)の人々から「蛮」と呼ばれ差別されていたこともあり、南国的で幼稚な外交術を得手としていた。
名宰相とは知っていても、晏嬰が小柄で風采があがらない人物と聞くや、楚では大門の脇に狗門(小門)をこしらえて、「どうぞ、こちらえ」と門番が案内しようとした。すると、晏嬰は「狗(いぬ)の国に使いした者は狗門から入ると聞くが、今、私は楚の国にまいった。狗の国に使いしたのではござらぬ」と言って大門を開けさせた。さて、今度は接見の部屋に入るなり、からかってやれとばかり、楚王は晏嬰に聞こえよがしに言った。
「斉には人なきか。子をして使いせしむ」とあびせかけてきた。馬鹿にしたのである。
晏嬰は答えて、「斉に人なきかとは、とんでもない。斉の都には人があふれております」
楚王「なれば、どうしてそなたのような者をよこしたのか」
晏嬰「はい。ごもっともなお尋ねでございますが、わが国では使者を使わすにあたっては、賢い者は賢い国に、愚かな者は愚かな国につかわすようにしております。私はその中で最も愚か者ゆえ、貴国につかわされたしだいです」高圧的な楚王は黙ってしまった。が、まだ楚王は腹の虫があさまらない。又つまらぬ知恵で斉の国を卑しめようとして、今度は晏嬰を歓迎する宴の途中、役人が一人の男を縛って登場するという案を使った。
楚王「それは何者じゃ。」
役人「はい、斉の男でございます。」
楚王「何の罪を犯したのじゃ。」
役人「盗みを働きました。」
楚王「ほう。斉人は盗みが達者とみえるな」
そこで、晏嬰は席を立って言った。
「橘(たちばな)は楚の名産でございます。推水(ワイスイ)の南に育てば香ばしい実をつけますが、推水(ワイスイ)の北に移すと枳(からたち)になってしまいます。葉は良く茂り似ておりますが実の味が全く違うのです。橘に及びもしません。なぜそうなるかと言えば風土が異なるからでございます。それと同じく、その者も斉の国では盗みなどしなくても、楚の国に移り住めば盗みをするという、どうも、楚の国の風土が盗みに適しているのでございましょう」
南人は、とうてい北人の知恵には対抗できなかったようである。
この話の出典は「晏子春秋」という古典であるが、国と国との外交交渉には中国古典は大変に役立つ。この国の外交も適任の賢人を選び、国益第一、毅然とした態度で臨んでもらいたいものである。