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清濁併せ持つ気質が政治家であるはず・・

連日のテレビを賑わす政治論でありますが、何か的を外れた議論に感じる。
社会が複雑な仕組みになると人間は単純化するという。多くの人が「政治と金」を問題の第一に挙げますが、必要悪の枠は残しておかないと、政治が成り立たないのでは?
何故なら、この世は現実であり、現実の最たるものがお金である。人は利益の為にのみ動く・・どうしても成さねば成らない時の切り札がお金なのである、と言うことも視野に入れて政治家を選びたいものである。クリーンな政治家が、どうして良い政治ができるのか。
そもそも、政治家の役目は何か?国を纏めるとはどういうことか?どのような大事であるか?ということすら、明確に意識している政治家はいないように感じる。
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政治家の役目とは、様々な意見と利害を持つ人々を巧く纏める事であり、異質な人とも妥協し、和合強調し、意見を調整して個人を集団にまとめ、集団を組織にしていく事である。
善人も悪人も、富める者も貧しい者も、全部含めての政治である。そこに善悪の境目はない。善人の意見だけを聞いて悪人を知らないとなると政治にならない。つまり清濁併せ持つ度量が必要になるのである。政治は善悪全てを大きく包み込む中に、より良い方向を見出す役目を背負っている。そのためには善悪の境目を持たない姿勢が必要で、清濁合わせ含む生き方と対応ができる人物がまず、政治家にとっての必要条件であると考える。

善悪の境目のない人=ズルサがある=平和な気質を所有
          平和な政治=清濁併せ持つ→経済力に到達
善悪をはっきりする人=正直で真面目=動乱の気質を所有
           国を滅ぼす政治=白黒鮮明化→貧困に到達

現在の世の中は、利便と利潤を求めて暴走した文明の弊害として、無形から有形へと価値は移り、精神性は後退し、複雑社会の中にあって女性が強い現実重視社会である。
政治家についても財的政治家が幅を利かせており、こういう時代は精神性を訴えるより単純明快で現実的な方向を訴える政治家が優遇される・・。「理念(精神)よりお金(現実)」
・・それにつけても、政治家に第一に期待する事として、諸外国を相手にしては「応対辞令」の学を持って政治に勤めていただくこと、その事を切に希望するものである。