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栄達した人間が何故、老荘思想に憧れるのか?

「論語」では「知っている事は知っているとし、知らない事は知らないといえるのが、本当に知っていることだ!」とあるが、老子は、これを更に進めて「知っていても知らぬ顔をせよ!」と説く。

抜け駆けの時代にどう対処するか?

知恵比べの時代こそ、「老子」である。
勝ちたい時こそ、一歩退いて考える。

つまり負けないように生きる、殺されないように生きる、という積極的な意志力を秘めた教えであり、それは囲碁の<<最後に一目勝てばよい!>>につながる。
負けない生き方、死なない生き方である。
「老子」は「論語」と並んで日本社会に深く根付き日本人の心を支えてきた車の両輪の様なものである。
しかし、明治期に入り、規範を重視する方針にと論語が国民教育の根幹となり、「老子」は次第に影を薄めてしまう。
明治政府のとった《富国強兵》政策である。湯川秀樹の家では「論語」や「孟子」は教えられたが、「老子」「荘子」は教えられなかった。
ある時、「老子」をこっそりと盗み読みしているうちに博士は中間子理論の重大なヒントを得たという。


老子の思想:
 「人間の欲や営みを前提として認めたうえで、許容範囲を踏み外さない生き方を説く。」

孔子の思想:
 「理想の社会を想定し、世の中はこうあるべきであると先ず決定する。これは駄目!あれは駄目!という具合に、さまざまな規範を設ける。」


精力を無駄に使うな!「老子」は国の政治も、個人の養生も、根本は精力の無駄使いをしないこと嗇にあるという。
「飲食を節し、言葉を慎む」無駄な営みをしないことに徹し「無為」に達する。無為とは自然の流れにのっとって、主観に基ずく動きをしないことである。
学問さえも生命エネルギーの浪費となり、慎まねばならないものの一つとある。しかし「学問のための学問」で当時の儒家を指したものである。
「和光同塵」自分の才能を包み隠して、世間の塵にまみれて暮らす事を言うが、特に乱世にあっては、自分の才能をひけらかさない事こそ、無事に生きながらえる道だ!長生きの秘訣だ!と老子は説く。
老子の「無為自然」とは最後に勝つという勝利の哲学。

知恵の時代の今こそ老子の時代!

三国時代の「竹林の七賢」と言わずも、老荘の学を好み酒と琴を愛し世俗を離れた日々に羨望をもつ人物は、今も大勢隠れ潜んでているのである。