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ユングてどんな人?

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●カール・G・ユング 1875.7.26〜1961(86歳)
スイスの心理学者・精神医学者、はじめフロイトの精神分析学に共鳴したが、の
ちにその性欲理論、合理主義を批判して分析心理学を創始した。

●フロイトとの出会いと決別
ユングが25歳で精神病院の助手をしていたとき、フロイトの研究成果「夢判断」が出版され、病院の院長の勧めもあり、フロイトの研究を知りました。
ユングは夢を通して人の無意識を探るフロイトの手法に感銘を受けました。そして、自分の研究成果「診断的連想研究」を出版するとフロイトに贈呈しました。
フロイトは新進気鋭の精神科医ユングが自分を慕ってくれることに喜び、二人は文通を続けました。
1907年、ユング32歳、フロイト51歳のときユングがフロイトをウィーンに訪問しました。ユングも出会いに感動し、フロイトも優秀な後輩から慕われ尊敬されることに無上の喜びを感じました。その背景にはフロイトの「性理論」が当時の精神医学会で評価されず異端扱いされていたこともありました。
フロイトはその後ユングを後継者として考え、極端に特別扱いをしました。例えば「国際精神分析学会」の初代会長にユングを就かせました。
ユングの気持は息子が父親を慕う気持と同じだったと推測されます。何故ならユングの実の父親は弱々しい頼りがいの無いタイプに対して、フロイトは「理想の父親」に映ったと思います。
しかし、二人の人格DNA分析の才能エリアがユングがM-タイプに対して、フロイトはN-タイプであるなどもともと考え方に違いがありました。そして、人の心を性欲で説明しようとするフロイトの「性理論」にユングは違和感を感じていました。実は人格DNA分析で体力数値がフロイトは273のハイパワーで性欲旺盛に対して、ユングは228のアベレージパワーでした。
結局ユングはフロイトとの決別を覚悟しました。そして、精神分析学会の会報にフロイトの「性理論」に対する反論を載せました。フロイトのショックは大きく、ユングを「裏切り者」と罵りました。
その後、ユングは社会との交流を絶って、5年間自宅に「引きこもり」ました。
そして、ユングがフロイトから独立した心理学の道を見出した最初の成果は1921年に出版した『タイプ論』でした。