2017年10月07日

「老馬の智、用うべきなり」

こんな話がある・・。
中国史上、最高の宰相と言えば管仲、斉の国に仕えた人物である。
春秋戦国時代の話、連日の戦いで死にもの狂いで逃げる途中で道に迷う。
その時、管仲が発した言葉がこれである。
老いた馬は賢いのでその馬に道を探させよ!と命をだしたのである。
人の役に立たなくなりつつある老馬を上手く活かして用いるという発想が
流石に管仲である。紀元前の宰相の格言は未だ錆びずに生きている。
言わずもがな。管仲とはこの格言の主。。
「実つれば、すなわち礼節を知り、
衣食足りれば、すなわち栄辱を知る」

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2017年07月17日

絶叫議員・号泣議員

国会議員の品性が問われる事件が相次いで起きている。
国会議員、その根拠なき不遜から自らの愚かさを露呈した姿が何とも哀れで悲しい。
その中でも群を抜いて注目を集めた事件が、今回の女性議員の絶叫・暴言であった。
その浅見、その憐れむべくは数年前の「号泣議員
に負けず劣らずの賑わいであり、
その映像はまたまた、海外にまでも飛びそうな勢いを感じさせるものにおもわれる。
そして、然もありなん!とは、此の事と見つけたり!
号泣議員と絶叫議員の二人の大きな共通項の存在を不意に見つけ出したのである。
24分類法から「Mタイプ領域」を所有する人物であることが判明。
古来より「雌鶏騒げば・」とか「礼義・品性が廃れば国が滅びる」の言があるが、
品性の廃れた世の中から眺める未来はどのように・・。これ、杞憂であろうか。

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2017年03月19日

役割の上下を以って結婚の形

昨今のニュース番組から、時の権力者の見苦しい弁明の中に「私と妻は対等でありますから・・」との言が飛び出したが、その言葉から「不完全な結婚」の形を想像してしまう。
実に結婚とは?人間が生きる上で最初に作る最小の集団である。これが結婚の形である。
人間の出発点として、一人の男性と一人の女性が作る小さな生きる範囲の家庭である。
そこには、細やか営みがあり、平凡な人間の姿があり、一つ一つを積み上げて行く小さな努力の世界がある。全ての運命の出発がこの家庭から始まり、家庭の在り方が、やがて運命を作り出して行く。そこで夫婦は目的を一つとし、一つの目的の為に二人で役割を果たしていく事になる。夫婦は蓄積という目的の為にお互いの役割を所有するのである。

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2016年12月18日

集団の活かし方・24分類法

人間を分析するにあたっては、高度の視野を以って臨まなければならない。
人間の法則を知らずして軍略は語れず、人間個人を知らずして集団を活かす事は出来ない。
集団の中の「個」を如何に生かすかに、24分類法は研究され、作られている。
また、24分類法は単に人間の人間による観察力や思考をもって生まれたものではなく、
如何な時代でも変化する事のない宇宙の法則と自然界の法則を以って基本概念としている。
それは、宇宙イコール人間、人間イコール自然物とする真理から生まれた思考法である。
自然界の法則から生まれた「干支符号」に肉体の出発点を合わせた「六タイプの欠け部分」と「精神・現実・集中・思考の四つの領域」から編出した理論である。
欠けた部分から生まれる人間の「欲望」と「知・情・意」を大きく捉えたものである。

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シャープの凋落

大企業にあっても事業継承には法則がある。大きな知恵の支えが必要である。
企業は6対4の割合で優秀な人材を持つ事。優秀な人材は無敵である。
特に、後継者の中でも二代目、七代目、十二代目を担う社長は、その役目として
教育の要素を経営術の中に持たねばならないのである。これが法則である。
新たな教育改革なしに従来の状態を引き継ぐだけでは七代目を維持、安定には至らない。遡って徳川家の例を見ても、二代目秀忠公はこの法則を以って三代目へと繋げている。
そして、四代目の豊かな時期を経て、五代目で確固たる自信と安定を得ている。
(株)シャープの七代目社長は目を伏せて「何もしなかった・」との言葉を残しているが、この法則を知らずして、百花の凋落飛散への道を選んでしまったのか、と。

2016年12月09日

囲碁と次元と人間学

古代堯帝が愚息の品行方正のために作ったのが「囲碁」と言われる。
「囲碁」は人間関係性を説いたものである。
宇宙の最小全体図である「陰陽五行理論」に乗った人間学である。
その碁盤は19×19=361 中央は「人の次元」と考える事から常に
伏せる事としてマイナス1とし360°の宇宙「紫垣界」を成している。
「人の身の三百六十節・四肢九窮はその大具なり」の言の如くに、
大宇宙に対して「人間小宇宙論」を創りあげたのである。
碁盤上には異なりの視野と異なりの次元を持った人間関係、社会があり、
段差五行説と宇宙の法則に基づく真理から見事に具現されるものである。
縦線を空間、横線を時間として、その交点に人の次元の高低を置き、
又、人間世界の死活を含めた諸々を、縦横思考の下に人の在り方を
編出すものである。(繋がった石は強く・・孤立した石は弱い)
実に縦横学の淵源はここにあり、一子相伝・口伝・耳受により研究され、
更に算命学へと続き多くの学説集を生み出し、軍略(予測・対処・準備)
集団学・人間学(知・情・意)としての高さを所有するものである。

2016年10月22日

寿ければ

寂聴氏の「死刑制度」に関する発言が物議を醸している。
確かに、これは、偏した中庸を欠く問題発言である。
「人を殺したがる・・・馬鹿ども!」と死刑廃止論を唱えたが、
この発言には被害者の身内が怒っている。いや、被害者でなくとも。
一言で氏は、子供より自己を優先した自己愛の強い人物と言える。
その実は、本人が万言を費やしても自己愛の域から出る事はなく、
又、その自愛の人に、慈愛なり博愛精神は宿るべく無く矛盾が多い。
僧侶の姿を借りての説法等も「恥ずべく偽善」とする人も多いのだ。
哀しいかな、「寿ければ、辱多し」である。
時過ぎて「耄耋の境に在り・・忘を病める・」老者の発言かとも。

改めて「法」の本質とは「信賞必罰」にあり!と認識する。
「刑法」の中の死刑制度は何も善人を罰するものではない。
極悪人を罰する事、悪事を未然に防ぐという両輪を持つものである。
仮に、情性を頼りに罰を加えず、守るだけなら「法」とは言わない。
「法」を守備本能の世界に置けば治安は乱れ安全な暮らしを失うのみ。
「法」とは裏側に手段としての攻撃本能の支えを持つものである。
「法」を守った者は必ず賞し、「法」を破った者は必ず罰する。
故に、法務大臣は役目としての仕事を粛々と断行する事にある、と。

そして、枢言に曰く・・・。
正統な刑罰は暴虐ではない。
正当な褒賞も浪費ではない。
「信賞必罰こそ、最高の徳である」と。